福島県の山奥に人口630人の小さな村、檜枝岐村がある。尾瀬の大自然に囲まれ、温泉と山の恵みが観光客を出迎えてくれる。江戸時代後期、村人がお伊勢参りに出かけ、その帰りの道中に歌舞伎に出合う。それを村唯一の娯楽に取り入れたのが檜枝岐歌舞伎の始まりと言われている。
それから260年以上ものあいだ伝承されてきた。近隣の部落にも歌舞伎はあったそうだが、後々に歌舞伎そのものも消えてしまい、唯一檜枝岐の歌舞伎は残った。古典そのままの浄瑠璃を口伝えし、振り付けをし、父から子へ、子から孫へと伝えられ、檜枝岐歌舞伎にしかない型や振りがしっかりと受け継がれている。檜枝岐歌舞伎は鎮守神祭礼の奉納芝居である。村人で構成される千葉之家花駒座(約30人)が毎年春祭(5月12日)、鎮守神の祭礼(8月18日)、歌舞伎の夕べ(9月3日)で上演される。春祭の上演から始まり、毎日のように行われる夜の練習、そして遠征公演。その合間に行われる若手への指導。村人が必死に守ってきた檜枝岐歌舞伎、いま観客の大半は村人ではなく県外から来る観光客。そして長年続いてきたこの文化を消さないために後継者育成。様々な課題を抱えながら今日も練習の日々が続く。
中学生が文化祭で歌舞伎を演じることになった。練習期間は一ヵ月半、せりふも振りも生徒達は何をどうしていいのかわからない。花駒座の指導が入る。毎日の練習時間は短いが中身が濃い。みるみる生徒の目つきが変わっていく。花駒座の指導にも熱が入る。指導するのは演技だけではなかった。挨拶や言葉使い、礼儀や最低限の常識をも知らず知らずに教わっている。花駒座の指導する座員は生徒から見るとおじいちゃんの年。生徒たちはしつけを教わる孫のようだった。いよいよ、文化祭本番だ。はたして上手く演じることが出来るだろうか。たくさんの村人が優しく見守った。檜枝岐村に古き良き日本の姿を見た。いま失われつつある大切なものが、この小さな村にあった。助け合い、語りあい、誰ともなく子供を教えまっすぐに育てる。まるで一つの家族のようなこの村の感動の記録です。 |